残忍、強欲、自己中心・悪に翻弄された世界の歴史
悪は、神様が創造された魂と霊体を一つづつ盗み、魂を20億に分割され、霊体は悪を入霊されました。悪の思いのまま人類は悪で埋めつくされてきました。その盗まれた霊体一つのお話です。
以前のブログで、世界一悪い悪霊体Hについてお聞きしました。
Hは今世まで40回転生しましたが、人間をどこまで奈落の底に陥れたのか?
神様から悪霊体の転生の数々をご教示戴きました。
以下は、悪霊体Hの過去世の記録です。
①イヴァン4世の6番目の妻H
イヴァン4世は8回結婚したが、Hにそそのかされて恐怖政治を行った。
-
- Hは7番目の妻の子を殺した。
- イヴァン4世は、Hに言われて恐怖政治を行い、貴族や聖職者を殺害した。
- 裏切り者と不従順な者を処罰する「別個の宮廷」を制定した。その処罰は財産を狙って4000人の貴族を処刑し、その制度廃止の嘆願者も全員処刑した。
- Hは、他の男と密通していたのが発覚し、愛人の男は串刺しにされ、Hは修道院に追放された。
②隋の第二代皇帝 煬帝の愛人H
Hは、中国史を代表する暴君といわれている煬帝の愛人になり、恐怖心を植え付け操っていた。
-
- Hは、次男(煬帝)の愛人となり、兄の皇太子が派手好みで愛妾を求め、H以外2人の愛妾がいるとでっち上げた。
- Hは、煬帝に恐怖心を植え付け兄殺害を命令した。
- 父、文帝の崩御に伴い煬帝が即位した。即位した後に兄は、殺された。
- Hは、煬帝に倹約生活から豹変し贅沢な生活を求め、廃止されていた残酷な刑を復活させた。
- Hは、楊玄感が謀反を企てていないのに企てた様に仕組んだため、煬帝は九族に至るまで処刑していった。
③スターリン H 35歳の時Hの悪霊体が入った
ソビエト連邦の政治家、軍人。レーニンの死後29年間に渡って最高指導者の地位にあった。
-
- 国立銀行からの強奪を計画するなど、自ら銀行強盗を実行した。通貨の偽造、身代金目当ての子供の誘拐もした。
- スターリンHは、政治家の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで大規模な政治的抑圧として130万人が即決裁判で有罪とされ、68万人が死刑判決を受けた。
- 数百万人もシベリアなどの僻地に追放処分、数十万人が処刑された。
- スターリンHは、秘密議定書に基づきポーランドを侵攻し第二次世界大戦を起こした。
- ヒトラーは秘密議定書に基づき第二次世界大戦を起こすことになる。
④西太后 H
西太后Hは、咸豊帝の側室になり清朝を50年近くにわたって操った。女性による摂政政治を行い、ライバルとなる妃や大臣を次々と殺していった。
-
- 西太后は咸豊帝を毒殺し、清朝の実権を握った。
- 第11代皇帝・光諸帝(こうしょてい)の側室であった珍妃を、生きたまま井戸に投げ落として殺した。
- 正室である東太后を毒殺した。
- 咸豊帝の寵愛を受けていた麗妃の手足を切断し、生かしたまま瓶に詰めて「だるま女」としてさらしものにした。
- Hの邪魔になるもの10人(女7人・男3人)正妃の子供、皇帝の愛人、その子供たちを片手、片足を切りとり裸のままで壼の中に入れ、蓋をした。独房に一人ずつ入れて囚人として扱われて、1日1回の食事を与えられた。1年くらいで全員死亡した。
- 壺に入れられていた親族が、牢屋番に白状させて事実が発覚した。
- 光緒帝(こうしょてい)と、西太后Hは、事実が発覚して腹を刺されて殺された。
- その直後に王朝が崩壊した。
⑤ジンギス・ハンの母 10番目の母だったH
モンゴルはジンギス・ハンによって諸部族を一代で統一されてはいない。10番目の母Hは、ジンギス・ハンに入れ知恵して諸部族を服従させた。
-
- ジンギス・ハンは中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服しようとしたが、僅かしか統治できなかった。
- 人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国を築き上げたジンギス・ハンではなかった。
- 10番目の母Hは、ジンギス・ハンに耳打ちする。
首長の首を切って部族に見せて歩いて、自分の配下に入れば戦争しないと言い渡らせて、言うことをきかなければ、放牧できなくさせると言って服従させた。
-
- ジンギス・ハンは部下に、150の部落、種族に首長の首を見せしめにして歩かせた。
⑥アヘン戦争(中国の時代) 3人の皇帝の愛人だったH
3人の皇帝の愛人だったHは、皇帝にアヘンを常用させ中毒にさせていった。
-
- イギリスは製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた時代。中国のトップは、アヘンを常用し中毒になっていった。
- 皇帝など6人居たが、その中で3人の皇帝の愛人になりアヘンを常用させ中毒にさせていった。皇帝1人に10人程愛人がいた時代、半数くらいが中毒になっていった。
- 宮廷の中でアヘン常用が増えていった。政治の腐敗、軍隊の闘志もなくなり、上層部から社会の風習は堕落していった。
⑦ヘロデ大王の時代 女預言者H
ヘロデ大王にウソを信じ込ませて、2歳以下の男児を殺害させた。
-
- 救世主の噂を聞いて恐れていた預言者Hは、救世主が現れて王は追放され殺されると、言ってそそのかしそれを信じたヘロデ大王は500人の2歳以下の男児の殺害を命じた。
⑧南ユダ国最後の王 ゼデキアH
-
- 最後に滅亡したユダ国の王ゼデキアHは、残りの生涯を捕囚として生きることになったが、ユダの王にしてもらえたのに、仇のエジプト側に寝返った恩知らずと言われ、両眼をえぐりとられ、死ぬまで鎖につながれて生涯を終えた。
⑨呂后(ろご) H
呂后Hは、劉邦の死後皇太后となり劉邦の側室を殺害、劉邦の子供を次々と殺していった。
-
- 呂后Hは、劉邦が亡くなった後、息子が二代皇帝・恵帝として即位すると、呂后は皇太后としてその後見にあたる。
- 呂后は二代皇帝の寵愛を受けていた側室・戚夫人を投獄して奴隷にし、戚夫人の息子趙王を毒殺、戚夫人の両手両足を切り落とし、両目をえぐり、薬で耳と喉を潰すと便所に放り込み「人豚」と称して見せ物にした。そのさまを笑い転げながら見ていた。
- 息子恵帝は政務を放棄し、酒に溺れ間もなく死去する。
- 劉邦の子供を次々と暗殺し、自分に反抗する者は殺害して行った。
⑩武則天(ぶそくてん) H以外に 〇〇で遺伝子組み換えをして、悪を入れられた霊体
武則天は、中国の歴史上唯一の女帝。
-
- 14歳で唐の皇帝・太宗の後宮に入り才人となり、太宗の寵愛を受けるが、太宗の崩御にともない、ほどなく皇帝・高宗に見初められ後宮に戻り娘を出産した。
- 武則天は、自分の娘を絞め殺し、王皇后の仕業だとして、王皇后の座からけ落とした。
- 王前皇后とライバルであった蕭淑妃(しょうしゅくひ)を百叩きにした上に、四肢を切断し、「骨まで酔わせてやる」と言って酒壷に投げ込んだ。二人は酒壷の中で数日間泣き叫んだ後絶命した。
- 武則天は、身内を重用する一方で、子であろうと自らに反抗する者は容赦なく抹殺し、密告により反対派を潰すなど、独裁的な恐怖政治を行った。
* ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ * ⭐︎⭐︎⭐︎ *
悪霊体Hの系譜をご紹介しました。
Hはどれだけの人々を恐怖に陥れたのか。
ご教示では、残忍という性格の他に、強欲、自己中心を入れられたとのことです。
西太后Hの魂は、
あまりの残忍さに自ら消滅することができた。
誰しも自分を委ねることができた懺悔は、光に包まれる。
Hはこの後も日本に渡り、歴史上の人物、周辺で次々と転生し暗躍していきました。
2021年3月4日 22時