悪事千里を走る・悪霊体H 縦横無尽に暴れまわる
先日2021年3月4日、残忍、強欲、自己中心、悪に翻弄された世界の歴史 のブログで記載しましたが、神の魂と霊体を盗んだ悪が、霊体に「惨虐、強欲、虚偽、自己中心、プライド、嫉妬、欲望、冒とく」の性格を入れ込みました。惨虐の性格だけは、前回のブログで自ら光に包まれました。
その霊体は権力者達の身体の霊体に入り込み、悪行の数々で世界を翻弄してきたわけですが、先回触れなかった重要人物にも関わり、世界に大きな災いを招くことになります。
十二使徒とキリストの真実
キリスト教はイエス・キリストの十二人の高弟である、「十二使徒」によって生まれた宗教であることはよく知られています。
神様のご教示によると、その成り立ちは違います。イエス・キリストは存在せず、十二使徒のひとりとされる人物が、「夢の中である映像を見た」と打ち明けられます。その映像は「ひとりの男性が磔になっているもの」でした。
彼は仲間と「はりつけになった人物が、人の罪を全て自分がかぶり、あがなうことで、全ての罪を消す救世主となる」という構想を打ち出します。
悪霊体 Hが入り込んだユダが仲間となる
その構想に心を躍らせた彼らは、悪霊体 Hが入り込んだユダを含む十二人で、宗教を立ち上げる計画に移ります。
「実際に誰かにはりつけになってもらい、その姿を見てもらって既成事実を作る。その暁に死んでもらい、生き返り復活する演出をして、その後神に召されたという物語をつくる」ことになりました。
この話に共鳴出来る人を募り始め、共感した人が十二使徒の一員となります。協力を持ちかけて断った女性 3人は口封じのために殺されました。
それから、男性の一人を殺し、イエス・キリストとしたのです。これで構想が出来上がり、世界に布教していく歴史が始まります。その道しるべを記しました。
*以下の表は、全て偽りの記述です。
*その中で一人は良心の呵責にさいなまれ、止めたいとの事を申し出たが、牢獄に入れられ其の後も考えが変わらず牢獄で命を閉じた。
日本に放たれた悪は多くの民を苦しめ、歴史を変えた
十二使徒の一人についた悪霊体Hは世界だけでなく、その後の日本においても悪行の限りを尽くすことになって行きます。
源範頼(みなもと のりより) H
- 源範頼(悪霊体 H)は、都で狼藉を起こし、頼朝に叱責される。
- 鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)で平家一門を打倒する計画を企てた。
- 後白河法皇の妻・建春門院を初め、法王の近親者を殺していった。
源頼朝 H
- 源頼朝が40歳の時に、悪霊体Hが入るまでは、正しい政治をしていた。
- 源範頼を島流しにした。
- 源義経を謀反の疑いで殺し、家来50人を殺した。
奥州藤原氏は、4代100年にわたって繁栄を極めていたが、義経をかばったために滅ぼされた。
平宗盛 H
- 平宗盛(悪霊体 H)は、自分より優秀だった長男、次男を殺害し自分が大将になった。
- 父親の平清盛は3男宗盛のことを信用していなかった。
- 都に陰陽師を放って民を殺害させていた。
- 壇ノ浦で平家の人々は潔く死んだが、宗盛だけは逃げ回り、最後は源氏に捕まって、命乞いをして平家の恥をさらして首をはねられた。
「平家にあらざれば、ひとにあらず」と奢っていたにもかかわらず、みじめな最期だった。
徳川慶喜 H
朝廷は幕府に攘夷の実行を命じ、徳川慶喜(悪霊体 H)は攘夷する気だったが、家臣達には攘夷に反対するように命じた。
- 1月3日に勃発した鳥羽・伏見の戦いにおいて旧幕府軍が敗退し形勢不利になったと見るや、まだ兵力を十分に保持しているにも関わらず、自ら指揮する旧幕府軍の兵に「千兵が最後の一兵になろうとも決して退いてはならぬ」と厳命する一方、自分は陣中に伴った側近や妾、老中の板倉勝静と酒井忠惇、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬らと共に開陽丸で江戸に退却した。
静岡では贅沢な隠居手当を元手に写真、狩猟、投網、囲碁、謡曲など趣味に没頭する生活を送った。共に静岡に移り住んだ旧家臣たちの困窮にも無関心で「貴人、なさけを知らず」うとまれる声も多かった。
織田信長 H
織田政権は一向一揆と激しく争い、比叡山を焼き討ちした。信長は仏教勢力と激しく対立して、逆にキリスト教を擁護しようとした。
織田信長(悪霊体 H)は、自身に敵対する者を数多く殺害し、必要以上の行為を行った。
- 長島一向一揆における男女2万人の焼討ち。
- 降伏を条件として敵方の城内の者の助命を約束しているものの、降伏後にはその約束を守らず虐殺を実行した。
- 浅井久政・長政父子と朝倉義景の3人の首を酒宴の肴として披露した。
- 徳川家康の長男・信康と正室・築山殿を敵と密通していたとの嘘の話を仕組み、自害に追い込んだ。
武烈天皇 H
悪霊体 Hは、武烈天皇が即位した8歳から18歳まで10年武烈天皇に憑依した。
武烈天皇の異常な行為
- 妊婦の腹を裂いてその胎児を見た。
- 人の爪を抜いて、芋を掘らせた。
- 人の髪を抜いて木登りをさせ、木の根元を切り倒し、登らせた者を落とし殺しておもしろがった。
- 人を池の樋に入らせ、そこから流れ出る人を三つ刃の矛で刺し殺して喜んだ。
- 人を木に登らせて、弓で射落として笑った。
- 女を裸にして平板の上に座らせ、馬を引き出して女らの面前で馬に交尾させた。女の性器を調べ、潤っているものは殺し、潤っていないものは、奴隷として召し上げた。
聖徳太子の側近で、政治に関わった蘇我馬子 H
聖徳太子が17条憲法を作る時、初めは15条までの予定だったが蘇我馬子(悪霊体 H)が第16条、第17条を追記するようにした。
- 第16条
- 16条は夏も冬も働かせる様にし、税金をより多く搾取するためにつくられた支配者の私欲のための法律です。
- 第17条
- 17条は多数決で決める仕組みですが、悪い人が多いと悪い事が通ってしまう法律です。
- 神様のお言葉 大日月地神示・12
人民働かせ苦しめ続け、己らは遊んで暮らす世の仕組みは悪魔の仕組みじゃ。当たり前の世ではないのじゃぞ。多数決の世であるでないか。人の意識変われば変わるのぞ。数増えれば変わるのぞ。嘘の世は変えねばならんのでありますぞ。都合よく平和主義と申す善の仮面被ったそなたも、立派な我良しじゃぞ。厳しく申すは嫌われ役せねば、人民目覚めんからである。
神人様にご指導されたのは、天照大神御魂分け6男・国常立尊です。
岩倉具視 H
岩倉具視(悪霊体 H)は、妹に命令し孝明天皇を毒殺した。
- 政府は使節団として通商貿易条約の改正を求めるが、「キリスト教を禁止する国とはできないと言われた」とウソの事実を申し立て、反対に入国を許しキリスト教が入るようになってしまった。
神武天皇の陰陽師として側にいた男 H
- 陰陽師(悪霊体 H)は、幅を利かせて威張っていた。
- 官の10人を政治が滞ると嘘を言って失脚させた。結果、神武天皇の政治は弱体化した。
春日局 H
春日局(悪霊体 H)は、大奥を取り仕切っていた徳川家光の母・お江の方が邪魔で毒殺した。
- 大奥の役職や法度などを整理、拡充するなど、大奥を自分の好都合に改造した。
- 家光の正室・孝子を誰かに命令して口を塞ぎ殺させた。
- 最初からいた側室4人を同じ様に殺させて、残りの3人は危ないからと言い実家に帰らせた。自分の選んだ側室を次々と家光の側室にして、自分の勢力を強固にした。
- 将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握り、自分の息子や孫に至るまで、幕政に参加させた。
- 平時子や北条政子と肩を並べる位の権力を持った。
- 孫は、老中・大老に就任、幕政に参加した。
絵島生島事件
大奥の月光院に仕える絵島が、歌舞伎役者生島新五郎と遊興に及び門限に間に合わなかった事が引き金となり、天英院、月光院(悪霊体 H)、徳川家継、関係者1400名が処罰されたという事件がありました。月光院が、絵島に汚名を着せた事で誰も処罰される事はなかった。
真実は、月光院 Hの企てにより、11代将軍・家斉の子 9人も歌舞伎役者と一緒に酒を飲み、9人が酒に毒を入れられました。そのうちの5人が毒の影響で2〜3日後に死亡、残りの4人は軽い症状だったことで企みを見抜くことが出来なかった。
尾張徳川事件・尾張藩10代 徳川斉朝(なりとも) H
尾張藩10代 徳川斉朝に月光院の悪霊体 Hが憑依し、残りの4人の殺害を企てた。
- 11代将軍 家斉は9人の子女をもうけている。これらの子女を諸大名の養子や嫁へと押し込んだが、全て悪霊体 Hの企みで亡き者にされた。特に被害が多かったのは尾張徳川家で、悪霊体Hの企みで5人が亡くなった。
- 斉朝(悪霊体 H)の正室・淑姫に子ができなかったので、斉温を養子に入れた。
- 斉温が亡くなると、斉荘を11代にした。
- ここで義直以来の血統が途絶えた。
- 11代将軍 家斉の子 9人全てが、月光院 Hと斉朝 Hの毒殺などの企てで殺された。
徳川家継を仕たてた月光院 H
家継は、天英院が乳母となり育て4歳で後を継ついだが、7歳で死んだので、月光院 Hが偽物の家継を仕たてたが、11歳で亡くなった。
- 将軍家宣の正室が亡くなり家継(家宣の子供)の乳母・天英院が正室となった。
- 偽物の家継は、亡くなったので月光院Hは、新井白石を後だてにして尾張藩 継友を推したが成らず、紀州藩 徳川吉宗を擁立し吉宗が将軍になった。
徳川家重 H
- 徳川吉宗の長男・徳川家重(悪霊体 H)は、Hに憑依され虚弱で言語障害になった。
- 大奥に籠りがちで酒色にふけって健康を害した。
- 百姓一揆では上層部の者を処罰、薩摩藩に木曽三川の工事を命じ、膨大な財政負担を負わせた。
長屋王 H
長屋王(悪霊体 H)は、天武天皇の孫の中で優遇され高い地位についた。
- 律令に違反したら処罰する考案をした。
- 自分以外の官僚が議論するのを禁止した。
- 藤原不比等が上にいたのが邪魔になり池に突き落とし水死させた。
- 吉備内親王を妻にしてのし上がった。
- 自分と対立していた藤原武智麻呂を事故死に見せかけて殺した。
- 自分と同じ力を持った藤原房前を事故死で殺した。
- 長屋王 Hは基皇太子を毒殺。基皇太子の死について長屋王を尋問した新田部新王(にいたべしんのう)を毒殺した。
- 729年 長屋王の変 某官人から「長屋王が左道(さどう/まじないで人を惑わす)で国家を傾けようとしている」と謀反の疑いがあり、長屋王が尋問されて後、妻と5人の子とともに自害を命じたが、長屋王は命令に背き、天皇と同等の大きな邸宅に住み、あわびを食すなど贅沢三昧の生活で生き延びた。
増田長盛の女だった H
- 大坂夏の陣で石田三成に資金を送るように命じられた増田長盛だったが、女(悪霊体 H)に止められたことにより資金不足で敗戦してしまった。
親鸞の側にいた男 H
親鸞の側で、妨害をしていた男(悪霊体 H)。
- 男(悪霊体 H)は、女二人を使って親鸞が説いた説法は良くないと吹聴して妨害した。
悪霊体 Hは、善に向かう人々の心を悪くして、世界を暗黒の地獄に突き落とすことを仕組んできた。
2021年3月23日 10時